さぁちゅんです~♪
今日は祇園祭の宵山です。
昼間にちょっとだけ、山鉾を見物に行ってきました。
時間が経つにつれて人が増えてきて、特に今日は土曜日ということもあって、日が暮れるころには身動きできないほどの人出となることでしょう。
めちゃくちゃ蒸し暑くて、人がぎゅうぎゅう・・・・・ホントすごいですよ~。
我が家では誰一人として行きたいとは、まず言いませんねぇ。
まずはこちらから→にほんブログ村 京都食べ歩き「長刀鉾」(なぎなたぼこ)四条通東洞院西入
鉾頭に大長刀を付けています。
くじ取らずで必ず巡行の先頭を行き、このお祭りの山鉾の中のスター的な存在の鉾です。

現在では、唯一この長刀鉾のみ生稚児(いきちご)が乗ります。

ちまきやグッズが販売されています。
長刀鉾では、ちまきがもう残り少なになっていました。
↓ここからは新町通を北上しつつ、順に山鉾を見て行きたいと思います。
「岩戸山」(いわとやま)新町通仏光寺下ル
天の岩戸の神話を由来としています。
天照大神、手力雄尊、曳山屋根に伊弉諾尊3体のご神体をおまつりしています。
鉾と同じ形をしていますが、山なので真木ではなく、真松を立てています。
「船鉾」(ふねぼこ)新町通綾小路下ル
『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来し、鉾全体を船の型にしています。
船首には、中国の想像上の水鳥である金色の鷁(げき)を付けています。
神宮皇后と磯良(いそら)・住吉(すみよし)・鹿島(かしま)の三神をおまつりしています。
「大船鉾」(おおふねぼこ) 休み山 新町四条下る
現在の船鉾と同型で、後祭りの最後尾を巡行していましたが、元治の大火(1864)で焼失してしまいました。
焼け残った神面や船首の大金幣などの懸装品の展示をされています。
3年後の「大船鉾」の復活に向けて準備活動をされています。

新町通は南北に通る一方通行の細い道です。
細い道に建物の軒ぎりぎりに山鉾が建てられています。
そして道の両側には露店がたくさん出ていて、子供立ちでにぎわっています。
「放下鉾」(ほうかぼこ)新町通四条上ル
鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀ることに由来します。
鉾頭は、金色の日・月・星が下界を照らす形。

巡行時には、鉾の上で稚児人形による稚児舞が見られます。
かつては長刀鉾と同様「生稚児」でしたが、昭和4年に稚児人形にかえられました。
「南観音山」(みなみかんのんやま)新町通錦小路上ル 
鉾ではないので真木の代わりに真松を立てています。

楊柳観音像と善財童子像をおまつりしています。
応仁の乱の時代から江戸時代までは、お隣の町内の北観音山と隔年交代で巡行していました。
交代で出されていた山鉾というのは他にはなく、ここだけだそうです。
「北観音山」(きたかんのんやま)新町通六角下ル
もとはかき山でしたが、後に曳き山になりました。
楊柳観音像と韋駄天立像をおまつりしています。

鉾ではないので真木の代わりに真松を立てています。
山鉾巡行時には、山の後ろに大きな柳の枝を差します。
新町通を三条通まで行ったところで、くるっとまわって、↓ここからは東隣の室町通を南下していきます。

室町通も新町通と同様に一方通行の細い道です。
「山伏山」(やまぶしやま)室町通蛸薬師下ル 
傾いた八坂の塔を法力で直したという浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)がご神体で、山伏姿は大峰入りを現しています。
実はこの山は未完成の状態なんです。

巡航当日は、こちらにお祀りされている御神体を乗せて巡航します。

金魚すくいだ~。
「菊水鉾」(きくすいぼこ)室町通四条上ル 
鉾の名は、町内の菊水井戸にちなんで付けられました。
鉾頭は金色の菊花。


16世紀にベルギーで製作されたゴブラン織りの前掛は重要文化財に指定されています。
「月鉾」(つきぼこ)四条通室町西入ル
32の山鉾の中で最重量です。
鉾頭には18金製の三日月。
真木のなかほどの「天王座」には月読尊(つきよみのみこと)をおまつりしています。
「函谷鉾」(かんこぼこ)四条通烏丸西入
鉾頭には、山の上に月。

鉾の名は中国戦国時代の斉の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の声によって函谷関(かんこくかん)を脱出できたという故事にちなんで付けられています。
いやぁ~、今日はめちゃくちゃ暑かった~ッ!!
明日は日曜日なので、曳山巡航を見に行こうと思ったたのですが・・・・、
オトーサンが絶対行かないって言いだしたので中止となりました。
まあ、しかたないなぁ~。
明日は神戸に行くことになりました。
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